書名・頁・刊行年度
書名をクリックすると一部ご覧になれます。(ファイル容量を小さくするため、解像度を低くしています) |
紹 介 ・ 概 要 |
価格 |
在庫
紙書籍
電子版 |
|
第一集
1994年
|
神岡の年中行事は元旦の習わしから歳とりの12月31日まで、まさに各種の行事が行なわれております。その項目は百十四項目に及ぶものとなっています。その中身を三、四紹介します。
年中行事は1月、4月、9月、11月、12月には極めて多いことが伺えます。その年の季節の変わり目が多いことが分かります。
1月は年の始めに当り、元旦の行事、お日待ち、左義長、寒念佛など神仏にまつわる行事が多いようです。
4月には旧暦の雛祭りに始まり、各地区での宮祭りがあります。9月には旧暦のお盆の行事をはじめ、仏事に関る行事が多いようです。十一月も仏事が多く、報恩講、恵比須講などが目に付きます。12月は年の終わりに当り、納めの薬師様を始め、冬至、歳の市などがあります。 |
500円
|
完売 |
1000円 |
有り |
|
第二集
1995年
|
高原郷はもとより高山市、旧大野郡、長野県まで手を伸ばしたものです。そのためその数は900項目以上にもなり、最終的には264項目に縮小しております。
迷信と俗信を分けようとしましたが、その区別が難しく、まとめは一諸にしています。
第一章の〔天候〕で言えば、四季の天候の移り変り、その時の温度、湿度、風向き、晴雨に至るまで民間知識に関連する天文暦道や、陰陽道の幅広い知識を学ぶことができました。 |
500円
|
完売 |
1000円 |
有り |
|
第三集148P
1996年 |
高原郷の方言といっても、船津,袖川、阿曽布、山之村、中山、茂住地区などに上宝も加えると実に多岐に渡っています。しかもそれらは、生活の場と切り離すことができないくらいに強いものがあると考えられます。
また、地域に伝わってきた民具は、町や村の暮らしぶりを物語り、休むことなく営まれてきた人々の暮らしを彷彿させます。それはただ生きてきたということでなく、自分の家族の幸せやより良い生活を進めるための努力、工夫してきた証でもあります。 |
500円
|
完売 |
1000円 |
有り |
|
第四集 94P
1997年 |
子供の頃一度は耳にしたわらべ歌、懐かしさが蘇ってきます。そこに住むものとして、その時代にタイムスリップさせてくれます、まさに「心の故郷」として、心洗われる思いがいたします。
この本のまとめに当っては,『岐阜県のわらべ歌今昔』『袖川村誌』掲載のわらべ歌が参考になりました。 |
500円 |
有り |
1000円 |
有り |
|
第五集 83P
1998年 |
民謡は心のふるさと、私達の遠い祖先が素朴な生活の中から生み出した豊かな心の現われです、と言われています。しかし昨今マスコミの発達によって本来の姿とは変わりつつあるとも言えます。
生い立ちはいろいろありますが、@生活の中から生まれたものA労働の中からB祭り、祝い事などさまざまです。これらは祖先から継承した貴重な文化遺産でもあります。 |
500円
|
有り |
1000円 |
有り |
|
第六集 83P
1999年 |
第6集では、郷土に貢献された方々を明治以前に絞って登場頂いております。その分野は文学に始まり、宗教、教育、鉱山経営、行政など十章にもわたるものです。
その数は百二十五人の人物が紹介されております。その内容は、聞き取り調査であったり,町史史料や各種文献の調査などによるものです。 |
500円
|
有り |
1000円 |
有り |
|
第七集 53P
(市街地編)
2000年 |
神岡の地名壱では、市街地を中心に120近くの地名が調査しています。大字については知られていますが、小字や通称名は余り知られていません。この第七集では、その辺りを中心に調査しています。
地名には人の思いが込められています。つまりは期待や願いや当時の様子が凝集されています。 |
500円
|
有り |
1000円 |
有り |
|
第八集109P
(旧袖川編)
2001年 |
第八集では、袖川地区に絞り取り組みました。当初は残った地区を三年計画で調査の予定でしたが、旧袖川地区だけで、総小字名は五百に近く、止むなく計画が変更されたものです。 |
500円
|
完売 |
1000円 |
有り |
|
第九集166P
(鹿間以北編)
2002年 |
鹿間から富山県境に至る16地区、644項目のものになりました。
特にこの地域は鉱山関係の字地名調べでもあり、その地名にも、数多くの鉱山にちなんだ字名が存在しております。また、旧道である越中、中、東街道ということもあり.人々の往来により生活色のある字名もあります。項目としては、狭い範囲の中に多くの字名があり、極端に言えば、田一枚一枚にも字名がある地域もありました。 |
1000円 |
有り |
有り |
|
第十集159P
(旧阿曽布編)
2003年 |
この地域は19もあり、729項目という数になりました。
地域の歴史の深さ、そこに流れる歴史や文化などが、地名の由来と大きく関っていることへの驚きがあります。 |
1000円 |
有り |
有り |
|
第十一集95P
2004年 |
峠と言えば昔は集落と集落を結ぶ、最短での情報や生活の道であったろうと考えられます。
昨今は、交通や情報の発達によって、その役目は終わり、その姿さえ無くなった所もあるようです。道そのものが無くなったり、獣道と化した所もあったと聞かされます。
峠をまとめるに当っては、町内を山田方面、山之村方面、鹿間以北の三つに分けての調査を行いました。その数42峠に及びました。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第十二集86P
2005年 |
神岡の城上巻の発刊前年は、「江馬氏城下館」の上棟式が行なわれた年でした。一方では、「幻の山城跡」と呼ばれていた、吉田の野中山に城跡が確認されたのもこの年でした。上巻では城の歴史、山城と平城など城の形態、山城の構造と用語などに分けて掲載しています。
また、ここでは八つの城と関係する二つの上部遺稿と下館について、いつ誰が居たの、城跡への道程、どんな所か、城にまつわる謂れ等が、史料や地元の人達の寄稿、聞き取りなどの調査によって、記載しました。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第十二集94P
2006年 |
下巻で紹介しているのは、六つの城と金森左京館、金森宗貞邸跡、城塞の石垣など九ヶ所です。
また、江馬氏に関係する町外の城も探索しています。特に丹生川町の五味原城、国府町の梨内城、富山市大山町の中地山城では、城主との結びつきからの親近感もあり、交流が深められ、大きな収穫でした。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第十三集125P
2007年 |
どんな時代でも祭りは地域の伝統行事として、地域の人達の絆として伝わってきたものです。それには老若男女を問わず奉仕した思い出があります。集落があれば神社と祭りありと言われてきました。しかし過疎化、少子高齢化が進み規模の縮小、宮祭りだけと変わった所もあります。
一方では集落が喪失し、神社の維持も出来ない地区もあり、このことから現在町内各地区に分けて54地区の現状を調査し、後世に残すその仕事の大切さに、思いを熱くしております。いつの日か年齢や肩書きを超えて一つになった一体感が味わって貰えればと強く感じます。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第十四集74P
A4カラー
2008年 |
十四集にして初めてカラー印刷A4版としました。
町内各地区に分けて51社が調査対象で、頭の塗りの色や素材を含め12の観点に分けて収録しています。
頭と舞は同時に伝えられた所も多く、地区別にある特徴を見ることが出来ます。頭が越中型と呼ばれるのは割石以北に多く、全体では38頭あります。この型は全体的に見られるようです。眉の赤線型と呼ばれる頭は、山之村、釜崎、吉田、上村に多く見られ17社にのぼります。また、頭高型と呼ばれる頭は11社あり、中央地区、袖川,東雲に見られます。近隣地区の頭と舞の比較については、今後の課題となっています。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第十五集90P
越中中街道
2009年 |
中街道は舟津を起点とすれば、高原側の西側を通るルートで、大島、牧ヶ平、割石と続き越中蟹寺への道となっています。現況は、対岸の41号線から見ると、ところどころには昔の道筋を見ることができます。
しかし実際に探索で歩いてみると、災害や雪崩が進み、歩けない所も何ケ所かあるようです。東側とは違って、おおよそこの辺りだろうという道跡は確認することはできます。それ以外大きな手が加えられていないといえます。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第十六集102P
越中東街道(大東筋)
2010年 |
東街道(大東筋)は、舟津をスターとし藤橋、東町、六郎、鹿間へと続く、高原川の東側を通るルートとなります。
中街道と違って、国道や鉄道の整備によって大きくその姿を変えています。昔の面影を残す所は、ほんの一部分に限られています。このルートは東猪谷までの道のりで、六郎、鹿間を始め茂住を含め、鉱山との関係が強いのが特徴です。
ちなみに神岡軌道は東町を起点に猪谷まで、ほぼこの道筋に沿って敷かれ、町民の足は軌道から鉄道、そしてバスへと移って行くことになりました。この地区の探索も、関係者の道案内、説明が大きな力となっております。余稿で取り上げた「杉山より長棟への道」はさらに東街道の重みを増したものとなっております。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第十七集103P
越中東街道(袖川筋)
2011年 |
袖川筋は、朝浦藤波橋(藤橋)を出発点として梨ヶ根・寺林・堀之内・伏方・巣山と進み、赤坂峠に至る山田川沿岸の道筋です。脇道として、数河道(西)・大笠道(大笠)・神原道(柏原)を取り上げ、旧袖川村の村々をすべて網羅しています。
明治19年(1886)に神原峠越えの県道越東街道が開設され、東街道(巣山越え)が廃れました。そのため、山田地区右岸や赤坂峠などに街道跡が随所に残っています。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第十八集101P
山之村道(有峰道)
2012年 |
三年計画の越中街道、神岡の街道調べも、「中街道」「東街道」「東街道のうち袖川街道」で高山―富山間の街道が終わり、第18集は支線の一つの「山之村街道」について調べたものです。。
「山之村街道(有峰街道)」、東町を基点に〜殿(坂巻を含む)〜和佐保〜(前平を含む)〜伊西〜森茂〜岩井谷〜下之本〜瀬戸〜和佐府〜打保〜(有峰)の地域を記載しています。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第十九集108P
信濃街道(旧阿曽布村筋)
2013年 |
ここでは、旧阿曽布村の高原川の両岸の道筋と村並を取り上げました。
東岸(藤波橋―東町―殿)―麻生野―石神―数河
西岸(藤波橋―朝浦)―釜崎―東雲―阿曽保
この高原川両岸の道は、日面道(東岸)、日陰道(西岸)と呼ばれ、高原郷(高原川沿いの旧神岡町と旧上宝村)の村人の大事な通路でした。江戸時代の高原郷の中心は舟津町であり、舟津町上流の村々が、舟津町の郷蔵へ年貢米を運んだり、舟津の藤橋の普請などにかり出されたりした道でした。また、祭りや盆や暮れには、大勢が見物や買い物に往復したことでしょう。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第二十集 103P
吉田太子堂道・蔵柱道(もと吉田小学校校下)
2014年 |
街道シリーズの最終編です。吉田常蓮寺に向けての太子道、そして上村地区を経ての蔵柱道としてまとめています。
これらの道は高山・上宝と舟津を結ぶ重要な道であり、そこを行き来する人々の思いや点在する集落の様子や人々の営みなどに思いを馳せ、そこに息づいていた文化や伝統を綴りました。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第二十一集 133P
巣山・大笠・跡津川・佐古・大多和
2016年 |
離村にはそれぞれの事由があります。周囲の諸条件により望まぬ離村を迫られ、心ならずも離村という場合もあります。そんな場合、故郷への思いは強いものがあります。新天地にあって故郷を懐かしみ、そこにあった様々な暮らしがよみがえってきます。
その思いをしっかり受け止めながら、その「むら」の暮らしと歴史や文化を少しでも書き残すことが出来れば、それは私たち庶民のくらしの歴史をありのままにとらえていくことにならないでしょうか。
「追憶」はただ懐かしむだけではなく、そこの自然に生き、暮らしを切り開き、文化を築いてきたたくましい姿を追うことが出来れば、この調査の意義が一層高まるのではないかと思い、それは未来への生きざまにもつながるものとしてとらえていけたらと考えました。
第一編は高原川の支流の支流である大笠川の流域に位置する大笠、県道75号線より少し山の中へ入り込んだ巣山、富山県境の大多和峠から跡津川にそって位置する大多和・佐古・跡津川の5集落をとりあげ、景観・生活の基盤・暮らしの文化・離村の経過の4つの視点から調査をしました。 |
1000円 |
完売 |
有り |
|
第二十二集 102P
阿曽保・鹿間・笈破・杉山
2017年 |
前号で対象とした5つの集落、巣山、大笠、跡津川、佐古、大多和は、それぞれ特色を持ちながらも、農山村という共通の基盤を有していました。しかし今回対象としている高原川流域に散在する阿曽保、鹿間、杉山、笈破の4集落についてはそれぞれ異なる基盤が存在しています。
阿曽保は農業地帯の一角を占めている、純農村であり、笈破は農業を基盤としながらも鉱山との関係を無視できません。鹿間は純農村でしたが、鉱山の規模拡大につれて離村を余儀なくされたという、鉱山地帯ならではの影響によるものでした。杉山は街道に沿い、宿駅の機能を有していましたが交通・運搬の変化によりその機能を失っていきました。
そんな中で人々は新しくどんな生き方を求め、切り開いていったのかまで、感じ取ることができたら、この調査報告に一層の意義が見いだされることと信じ、取り組んできました。 |
1000円 |
有り |
有り |
|
第二十三集 186P
鉱山社宅地区
鹿間・栃洞・茂住
2019年 |
鉱山(やま)に体を張って生き抜いた刻は長くて遠い
そこに住む家族、仲間たち 鉱山にしか味わうことのできない景色がタイムスリップしたように次々と想い出される
日々の暮らしの苦労や喜び、鉱山の社宅に住んだ人々の心が伝わってきます
鉱山の冬は雪深く、長屋には吹雪が入り込みます
豪雪地帯の苦労を乗り越え、野花や山菜の春を待ちます
鉱山の生活の知恵を受け継ぎ、暮らしてきた人々は強い
皆が心ひとつに思いやり、情の深さでつながっていた
戦後でも不自由はなかったと、辛いことは忘れたかのように楽しく語られますが、家族の多い時代、食糧不足の中、助け合いながら過ごした日々は忘れ得ない時であったと思います。
今も昨日のことであったようにそんな鉱山を語っていただきながら、薮に覆われた社宅跡で往時に想いを馳せました。 |
1500円 |
有り |
有り |
|
第二十四集 122P
ふなつまち商店街
街並みの軌跡
2024年 |
神岡の街中の商店街から西里通り商店街、本町通り商店街、大津通り商店街、朝浦下タ町商店街、東町駅前商店街を主に、堀川・旭川・大島・桜町・今町・花園・玉川・仲町の各商店街についても触れています。
調査の中で、商店街の推移は神岡鉱山の隆盛・縮小と深く関わっていることを痛感し、そのことを商店数の推移やそれにまつわる資料や体験談などで綴っています。
また、そのような暗い面だけではなく、神岡再生を期して様々な取り組みが行われていることにも触れています。 |
1300円 |
有り |
有り |