雑記帳

2007年8月30日(木)
荒城クラフトフェア

さる8月19日、国府・八日町の荒城農業体験交流館をお借りして地元作家さん達の作品展示販売と各作家さんたちによるクラフト製作体験会を開催しました。地元の人たちに国府在住の作家さんたちの素晴らしい作品に触れていただくと共に作品つくりによって交流も深まればとの考えもあり思いっきり手作りのフェアでしたが皆さんのご協力でご来場者も大満足の結果となりました。
体験メニューは陶芸、木工(3ブースにて)、布、グラスアートと多彩で価格もお安く設定頂き夏休みの作品作りをめざして来場した子ども達にも大好評!一人で5つも製作体験した子もいたぐらい。
来年も是非、とのお声を頂戴し、さらによりよい地元のクラフトフェアを目指し頑張りたいと思います。
尚、今回の主宰は私(木の香・平野)も
参加しているNPO法人 ひなた。興味のある方はご一報を。会員募集中です。

2007年5月21日(月)
農業小学校について

ことしで6年目となる農業小学校。
次女が一年生の時から3人の子どもを順に参加させ
、自身も子どもの父兄と言う
立場からボランティアスタ
ッフへと変化し
ていきました。
子ども達の楽しむ声が聞こえる中、今年は特に気に
なる事があります。

子ども達と一緒に来てるのに作業に参加しないで親
御さん同士で喋っている方。

子ども達の作業も見ていない親御さん。
未就学児を連れてきて農業小学校に同じように参加
をさせ、それが小学生の作業
の妨げとなって入る時
にも放任の親御さ
ん。
農業小学校にもルールがあります。皆でルールを守
り、皆で楽しい一日をすごした
いと思うのですがいか
がでしょうか?

特に未就学児をお連れの親御さんにはもう一度他
のお子さんや親御さんの気持
ちになって考えて頂き
たいと思います。

そして、農小の生徒である子ども達のことを第一に
みてあげ、一緒に作業を
して触れ合って欲しいと思
うのです。

2006年10月13日(金)
冬の営業どうしましょ?

徐々に寒くなり今年も冬がやってきます。
山の中のお店の宿命、雪が降るとそれでなくとも多くはないお客様がさらに少なくなり何日も来客ゼロとなる日も出てきます。
今年はどうしよう・・・。お店によっては冬は完全に閉めてしまう所もあり、悩む所。
一昨年はフツーにあけていました。今年は午後のみとしましたが開店。さて、来年は・・・・
効率や経費を考えると冬季完全休業がベスト。
でも冬でも来てくださるお客様の事を考えると曜日を限定しても開けたいな・・・
皆様のご意見、お待ちしております。

2006年9月7日(木)
テレビに出ちゃった!

6月のことですが私達のお店がなんと全国放送の
テレビに出演してしまいました。テレビ朝日の人生の楽園です。こんな発展途上の駆け出しの私達が・・・と躊躇しましたが番組の趣旨はそういう人生の楽園目指し頑張っている人たちを応援するものですとのデレクターのお話に乗せられ30分間も放映いただきました。
全く“エエカッコウ”もせず素のままの私達で後からみて恥ずかしくもありましたがおおむね好評で“良かったよ!”とのお言葉を多くの方より頂きました。
こんな自分達の自由な思いだけで夢に向かい生きている私達ですが他の方々の参考になったり多少勇気づける事が出来たようです。
後はもう少し私達の作品に注文がはいったらな〜と思いましたがそんなに世の中甘くない!(笑)
まあ、腕を磨いて時を待ちますか。
HP御覧の方々も是非お店の方へお茶でも飲みにきてください。お待ちしてます。尚、遠方よりお出での方は臨時で出かけたり留守にすることもありえますので是非事前にご一報くださいませ。

どんなお店?
冒頭でも記載のとうり、私たちは移住後現在の土地にめぐり合い、譲り受け、とうとうお店をオープンしてしまいました。本当に山の中で(高山市国府町の地元の人にも“雪も多いなんであんな奥に!”といわれるような所)お店を開いても人通りは無い為、集客は見込めません。
ましてや普通の自宅一階に自分達で手を入れたお店です。贅を凝らしたオシャレなお店ではありません。オープンハウスと称し、自然豊かな知人宅に遊びに行った気分でゆったりと過ごしてもらおうと思ったのです。
お店の中には私たち夫婦でつくったグラスアート、ウッドクラフト、ウッドバーニングなどの作品が徐々に増加中。作品をゆっくり見てお買い上げ戴くもよし、ご自分で製作されるも良し(指導します)、オーダーされるも良し。もちろん、お茶とケーキを楽しんでいただくだけでも良し。とにかくの〜んびりとした空気の流れるお店にはなりました。
今後もよりよき方向へ改装を続けます。日々進化する(しかも全て自分達の手で)木の香へ是非お立ち寄りください。
自家栽培のシソと各種ハーブで入れるお茶、有機栽培珈琲、国産小麦粉にこだわった自家製パン、焼き菓子(ケーキ)などをご用意してお待ちしております。
今の仕事、収入
貧乏ヒマ無しとはよく言ったものです。
今、自分達のお店をオープンさせましたがそれだけで食えるほど世の中甘くない。従いまして私は毎日工場勤務にでて、収入を得ています。
もちろん空き時間はもの作りとお店の接客。
忙しいけど家族で過ごす時間は圧倒的に増えました。収入は少なく、毎月綱渡りで本当に厳しいけれど充実しています。今後はお店と物作りの収入(つまり、自営)だけで食べていけるように、というのが当面の目標の一つです。
ここでついでに一言。
移住、転職に際して仕事があるか心配で、という話を良く聞きますがこれは本人の考え方一つだと思います。過去の職歴や役職、収入に見合う仕事を探すとなるとかなり限られてきますので特に田舎移住の人は厳しい。何か目標があってそれに向かう仕事探しをするとか、夢の為収入を得る手段にはこだわらない(用は、どんな仕事でもいい)と思える人には田舎でもかなり色んな仕事が見つかります。
ウッドバーニング
建設中
古材使用の家具
建設中
グラスアート
建設中
子供の教育
田舎移住に際して子供の教育上不利になると特に東京、大阪の知人に言われました。所謂“いい学校”が田舎には無いと。
でも私たち夫婦は違う考え方をしています。
それぞれの子供にはそれぞれの個性、長所がある。皆が皆学力の(偏差値の)高い学校にいく必要は無い。
私たち夫婦は子らの長所、やりたいことを見つけ、伸ばしてやりたい。そのために小さい頃から自分のやりたいことをちゃんと探せる子に育てよう。いろんなことを手伝わせて適性が見えるようにしようと。なんとなく、とか親がいうからいい学校に行くのではなく自分のしたい道にちゃんと進める子にしたいと思っているのです。今までの育て方が正しいかどうかは分かりませんが少なくとも自立する力は育っていると思います。(親が頼りないからね。)今後の彼女、彼らの進む道に こうご期待。
住む場所と縁(田舎暮らし)
退職し、移住するにあたり、その“住む場所”を何処にするか、ということも私たち家族にとって重要な問題でした。次の“仕事はどうする?”にも書き込みましたが飛騨に決める前に色々と候補がありました。
条件の大きなポイントとして“子供をのびのびと育てられる場所”はどうしてもはずせない。
又、“空が開けている場所”、ということも大事な条件でした。
空気や水、豊かな自然、広い土地、と考えるとどうしても都会やその周辺地域では難しい。でも田舎も全国に一杯ある。ある程度絞り込むにしても結局は何らかの縁や運命的なものがはたらいて場所が決まるような気がします。
今、ここにいるのは明らかに縁があった!としか言いようが無い出来事が色々とありました。
思い描いている夢、希望はその思いをあきらめずもち続け少しずつでも実現に向け動いていると何かに導かれたようにこれも少しずつではありますが前進するのだな〜というのが私たちの実感です。
まだまだ全く食えなくて道半ば(も、行ってない?)の現況ではありますが前へ行ってると思います。
詳しくは又別途。
仕事はどうする?
退職を決めたのはいいけれど実は次のメドは全くありませんでした。希望や、やりたいことなどはあったけれどとりあえず退職してからでいいや、という感じ。以前からIターンUターンフェアやインターネットなどで情報収集していたので次の住む場所については何箇所か候補もありました。中でも南信濃の村や福井県の京都寄りの町からは第3セクターでの就職のお話を頂き家族で下見にまで出かけましたが家族がその土地を好みませんでしたので断念しました。
これからは特に家族の応援なくしては進めない、と思っていましたので当然の決断でした。
結局、飛騨地域の会社に就職し飛騨に住もうと決心した所、会社から東京要員として、といわれ辞退。平行して受験していた高等技術専門学校(所謂職業訓練校)に一年間入学し、技術を身につけることにしました。ちなみに通学期間中は雇用保険(すなわち失業保険)がいただけるのでその間は収入の心配なし。以前からやりたかった木工の技術を身につけ、技を磨いた後にやがて独立と言う夢の又夢に前進する事になりました。(運命と言うのは恐ろしい。まるで道が引かれていたかのように思います。)
退職の決心
決心したのは転勤先の東京勤務の時です。
勤め先の立場や仕事の内容、給与など全く問題なく
なぜ辞めるの?と周りの皆に言われました。
特に当時の部下からは真剣に怒られました。
取引先の方々からはうちに来ないかと何件もお誘いいただきました。今思い返しても本当に幸せなサラリーマン時代でした。
子供も7歳、5歳、1歳の3人。これからの生活を思うと
リスクの高い決断でした。
仕事が順調になると共に家族と過ごす時間が少なくなり、又、世間では児童に対する犯罪が日常茶飯事
(特に首都圏)のように報じられている時でもありました。
これからの子育て、家族の生き方、自分の夢を真剣に考えている時に会社で希望退職制度の話が持ち上がりました。これはチャンスだ。タイミングの良すぎる話に運命的なものを感じました。
妻は私が切り出す前に退職を薦めてくれました。このまま勤めていると身体を壊しそうだから、と後で言われました。家族の(私の場合は妻の)応援が無ければ決心せず退職していなかったと思います。
この決心の結果が正解であったかなかったかはまだ分かりません。収入面ではいつも厳しく綱渡り状態が続いています。でも、家族みんなの心は豊かにゆったりとしています。
又、行動をおこさず後悔する、という事はありません。
これからも行動せず躊躇する、ということは私たち家族には無いような気がします。これが私たちの生き方だから。
2005年12月28日(水)
ホームページの作成について

全くの素人がHPを作るとこうなる、という見本だとおもって見て下さい。パソコンは使うけど本当のところその基本や扱いに精通している訳ではない私がHP作成ソフトを使用し、解説本を頼りに少しずつ作り上げました。最後に根を上げ、知人に仕上げを頼みました。
それでもほぼ製作に間違いが無かったと言われ自分ながら頑張ったな〜というのが実感です。
これからご自分でHPを製作される方々、大丈夫です。但し、身近に詳しい知人は不可欠です。いざと言う時のお助けは私には絶対必要!Tサン、有難う。



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