旅行
1月12日
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2009年12月10日 更新
高山市は岐阜県の北、飛弾地方にあります。2005年2月旧高山市と9町村(久々野町・朝日村・高根村・宮村・清見村・荘川村・国府町・丹生川村・上宝村)が吸収合併して日本の市町村の中で一番広い面積の市となりました。


トルコ
'09.11.26 から 12.3 までトルコへ行ってきました。はじめエジプトへ申し込みをしていたのですが、催行人数に足らず中止となり、急きょトルコにしたわけですが、はじめからどちらにしようか迷っていたのでこれでよかったと内心思っていました。
エジプトと違ってトルコは11月から3月までシーズンオフで、雨や雪、それに寒さが心配でセーターやコートをスーツケースに詰め込んでいったのですが、なんとなんと全日程が晴天で、現地のトルコ人が驚くほどのあったかさでした。

シーズンオフのツアー料金でこの天気、暖かさ、本当にラッキーで得した!!感じでした。
しかし、初日いきなりつまずきました。フィンランド航空が2時間遅れです。もっとも1,500円の昼食券をもらってセントレアで食べましたけれど。

12時に飛ぶはずだったのが14時過ぎに飛び立ちヘルシンキに着いたのが現地時間の17時15分。当初計画ではヘルシンキの待ち時間が1時間半の予定が、イスタンブールへの便が待っていてくれたので厳しい手荷物検査を経て、空港の中を走って移動しようやくヘルシンキを18時04分離陸イスタンブールへ着いたのが21時16分。日本時間でいえば次の日の朝4時過ぎです。(フィンランド、トルコの時差はマイナス7時間)

ほぼ徹夜状態でホテルへ着き、泥のように眠り…とはいかずうつらうつらで朝を迎えました。
大きなバスに乗ってトルコ旅行が始まりました。フェリー乗り場で初めての昼食が、サバの焼いたのでした。「日本と変わらんな」と思いましたが、米はパラパラ、でも脂がのっていてうまかった。
初めて店頭で見る「ドネルキャバブ」です。トルコへ来たという実感。
バスごとフェリーへ乗り、ダーダネル海峡を渡ります。トルコの中でもこのマルマラ海の北がヨーロッパ、南がアジアです。私たちはアジアへ向かいました。トルコの国のこのアジアの部分を「アナトリア」と呼ぶそうです。何ともエキゾチックな香りのする言葉です。
トロイの遺跡です。紀元前3000年から紀元400年までもの間繁栄と衰退を繰り返してきた遺跡です。私たちには気の遠くなるような、信じられないような話ではありました。
最初から最後まで面倒を見てくれた、現地人ガイドのナミさんです。彼は日本語はぺらぺらで、トルコの国の概要、トルコ人の日常生活、トルコ人の政治的な考え方、トルコの地理、トルコの産業、トルコの歴史、等々ユーモアも交えわかりやすく説明してくれました。彼の博学と人柄にはほとほと感心です。
エフェソスの遺跡です。「紀元前11世紀イオニア人による都市国家がエフェソス近郊に成立、当時はエーゲ海沿いに開けた天然の良港でしたが、紀元前287年に生命線である港が土砂崩れで埋まり、疫病も発生したため、コレッソスとピオンの丘に挟まれた盆地に遷都を決定、それが現在に残るエフェソスです。」という説明を受けましたが、いずれにしてもそんな昔の実感がわきません。一番最後の写真は図書館だそうです。
古代の劇場跡の説明を受けています。

このツアーの私を除く全員だと思います。

説明は例のナミさんです。
エフェソスのほぼ中央にある通路です。

全体が見渡せる絶好のポイントでした。
説明してもらったのですが、忘れてしまいました。

しかし、美しいこと。
その昔の図書館跡とか。蔵書はとんでもない数だったとか。
トルコへの出発前楽しみにしていたのが、「シシケバブ」です。昼食に出たものを食べたのですが、何のことはない牛肉の串焼きです。日本でよくするバーベキュのねぎまと変わりなかったです。
ヒエラポリスの遺跡です。「この町は紀元前190年に建設が始まった殖民都市で、ペルガモン王のエウメネス2世によって建設されました」とのことでした。これでもまだ、ほんのわずかしか発掘されていないとのことです。
パムッカレの石灰棚です。「「パムッカレ」とは「綿の城塞」という意味が有ります。白い石灰を綿の花に見たのでしょう。ここはトルコ随一の温泉保養地としてローマ時代から現代に至るまで使用されていますが、パムッカレの温泉は石灰成分を含み、温度も35℃と低くて、生ぬるいものです。
この温泉水が高度差約100mの崖を流れ落ち、長い時間を掛けて石灰の棚田を作りました。」とのことです。不思議な光景でした。
右下は温泉の溝です。途中から石灰棚に流れ込んでいます。
途中休憩で食べた、ケシの実をかけたヨーグルトハチミツはうまかった。
国営のトルコ絨毯の展示販売するところです。刺し子さんが実演を見せてくれました。また、そこの職員がいろいろ説明してくれたのですが、日本語がうまいのなんの、立て板に水とはこのこと。ただ暗記していることをしゃべるのではなく、質問にもユーモアも交え即答します。5,6人いた人は全員そうですから驚きの連続。目の玉の飛び出るほど高い絨毯で目の保養をしてきました。
カッパドキアです。何とも不思議な気分です。広い広い地域にそれこそ奇妙なものがにょきにょきと生えているのです。我を忘れて見とれました。
三姉妹
カッパドキアにいくつもあったバザール。
次々と現れる不思議なキノコ。エリンギか?
ギョレメの谷
キノコの中にいっぱい人が住んでいたそうです。
アンカラエキスプレスというアンカラ発イスタンブール行きの寝台列車に乗りました。22時出発で翌朝8時着です。個室になっていて洗面、冷蔵庫もついていました。ベッドは2段です。
列車
食堂車の朝飯
通路、右側が個室
イスタンブールへ着いてから、黒海とマルマラ海をつなぐボスボラス海峡のクルーズです。私はこのクルーズがいちばん印象的でした。船から見る極端に古いものと新しいものがまとまった美しさで見飽きない風景だったからです。
ブルーモスク
アヤリフィア(その昔、キリスト教の礼拝堂をモスクにした)
トプカプ宮殿
イスタンブールの町並み
ドルマパフチェ宮殿
ルメリ・ヒサール 1452年オスマン帝国の皇帝メフメット2世が、強敵コンスタンティノーブル攻略の拠点としてわずか4ヶ月で作り上げたといわれる城塞
ブルーモスクの中です。広くて美しくて、昔、こんな建物を造ることができたのか、と感心しきり。
グランドバザールも行ってきました。少し怪しい雰囲気が何ともいごごちがいい。見て回れば一週間以上かかるとか。私たちを見ると「これ、千円でいいよ」「安くしとくよ」「本物の日本人か」などなど、声がかかります。
最終日にトプカプ宮殿へ行き宝物を見てきました。ため息です。

トルコに別れを告げイスタンブールの空港へ行き、またまたフィンランド航空の遅れを知りました。1時間遅れでようやく飛び立ちヘルシンキへ。そこでフィンランド航空のストライキを知りました。今度は遅れ遅れて5時間です。

お詫びに1人17ユーロの食事か買い物券をくれましたが、妻の口紅に変わってしまいました。

遅れた余録で、空港内ではありましたが、一度出国し、売店でムーミンの人形を買うことができました。一つ15ユーロで、ユーロの持ち合わせがないのでカードで。

結局現地時間22時35分(日本時間翌日の5時35分)に離陸、ロシア、モンゴル、中国、韓国の上空を経て午後3時にセントレアに到着しました。セントレアのトイレに入って感じたこと、「やはり日本のトイレがいちばん清潔」