昭和27年 飛騨神社みたま大祭 写真帖

祭典記録

終戦後政令の改正により、公的機関では社寺に関与することが制限されたため、
その後は合祀祭もみたま祭も遺族会によって行われていたが、
昭和27年は神社の発祥から75年目、前大祭から20年に当たるので
それを記念して慰霊大祭を行いたいとの発議があり、
昭和26年5月15日の飛騨遺族会において大祭を執行する事を決議され、
7月に至り高山市を中心に全飛に亘る各界を網羅した大祭準備委員会が生まれ
その後何回かの会合を経て11月に幹部役員が選任され、続いて大祭事務局が設けられるるに至り
趣旨の徹底浄財の志納募集につとめ大祭事務著しく進展す。
恰も昭和27年4月28日には平和条約の発効を見、
この大祭を一層意義あらしめ、飛騨国前古未曾有の大祭を執行し得るに至る。


大祭日程

5月4日   午後2時 神橋渡初式
狛犬除幕式
午後7時 試楽祭

5月5日 午後7時 新祭神合祀祭

5月6日 午前9時 御霊祭 (高山市遺族半数 昇殿参拝)
午後2時 本祭 神社庁長奉幣 浦安舞
宗教連盟奉幣 神楽舞
午後8時 夜祭 演芸奉納

5月7日 午前9時 御霊祭 (益田全郡国府村古川町遺族 昇殿参拝)
午後2時 本祭 岐阜県遺族連合会長奉幣 大和舞 浦安舞
午後8時 夜祭 演芸奉納

5月8日 午前9時 御霊祭 靖国神社宮司奉幣
(吉城郡遺族 昇殿参拝)
午後2時 本祭 人長舞 大和舞
午後8時 夜祭 演芸奉納

5月9日 午前9時 御霊祭 靖国神社宮司奉幣
(大野郡遺族 昇殿参拝)
午後2時 本祭 神社庁飛騨出張所奉幣
人長舞 朝日子舞 大和舞
午後8時 夜祭 献詠 演芸奉納

5月10日 午前9時 御霊祭 (高山市遺族半数 昇殿参拝)
午後2時 本祭 朝日子舞 浦安舞
午後3時半    戦馬慰霊祭
午後8時 夜祭 演芸奉納 仕舞奉納

5月11日 神幸祭
午後1時 出御 市内要所巡幸
                    裃警護1200余名 伶人150人 采女64人 
        闘鶏楽 神楽 獅子舞など3000余名、約5町(550m)に及ぶ大行列であった。
午後4時 還御直に奉謝祭 大祭関係者全員参列
          神幸神社数  363社 参拝遺族数  4971名

                            

               序
    桜花と共に散りにしより幾星霜悪夢の
    日々は余りにも長かりし
    然れどもやがて廻り来たる春、講和の貴効を
    迎へ過ぎにし幾多の暗雲を今拭い去らんとはす
    恰も昭和27年5月若葉の咲き出づる時
    社殿を清め誓を新にして飛騨國中に鎮座
    ませる参百有余神社の神々を御招請し国に殉じ
    た五千八百有余柱の神霊を慰め奉る大祭を
    六日より五日間に亘り執り行はされぬ
       国の鎮めのみやしろと
            いつきまつらう神霊
       けふの繁の賑ひを
            天かけりてもみそなはせ
       治まる御代をまもりませ
    此の日好天に恵まれ予期せる諮り事総て厳
    粛且つ盛大に円滑に終始す、その喜神の助け
    ならん
    社頭に額つき血肉をわけし輩、師の姿、友の俤
    愁か喜か唯涙滂沱するのみ
大祭を告知する大高札
前年の秋より市内各所に掲示す
大祭に奉幣された靖国神社宮司の筆になる扁額
   「常有神光」 常に神光有り
装ひ全くなれる社頭正面
装ひなれる本殿
祓所と警備救護詰所
各勧請神社よりの献備品
連日賑はった特設演舞場
電飾眩しき参道の夜景(馬場町通り)
献備品の一部
招請神社の渡御・還御で賑う社頭
招請神社の賑々しい市中渡御の光景
(闘鶏楽)
奉謝祭における市内御巡幸の一部
   (奉仕人員約3千人名)
御巡幸に供奉中の宮司
各町内挙げて協賛の飾物・活花の一部
郷土特産品の奉賛展示会場の一部
大祭中の高山駅頭