金守山黄金神社
御祭神 主神 金山毘古神 かなやまひこのかみ
金山毘賣神 かなやまひめのかみ
配神 茂住宗貞主 もずみそうてい ぬし
宮島平左衛門主 みやじまへいざえもん ぬし
神社紋 分銅

由緒
配神について
茂住宗貞主

元の名を糸屋彦次郎。越前大野の人。領主金森長近公に召されて天正17年中高原郷茂住(現飛騨市神岡町茂住)に来り。
神岡各所の鉱山を開く。終に巨万の財を積み、金森家の財政を支える。姓を賜り金森宗貞と名乗る。飛騨国鉱山物採取の創始者とす。
長近公死去を知るや慶長13年8月24日屋敷に火を放ち卒然と退去す。姓を打它と改め越前敦賀にて没す。
時に寛永20年8月22日なり。

宮島平左衛門主

本姓平野。名は時則。金沢藩士。故あって此の国に来る。嘗て鉱業に造詣あるを以て、寛永6年9月領主金森家に仕え白川郷の諸坑を開く。
産額は増大し同8年遂に金山奉行に登用さるるも、同僚等の讒訴に依り同15年5月城中にて横死す。
爾来、城内に数々の怪異あり。加えて頻年凶饉鉱山衰廃に至る。同18年5月、之が冤魂を慰めむと五代領主金森頼業公により祀られる。


両御祭神の経歴については諸説あり、名古屋城天守閣の金のしゃちほこ献納を命じられた長近公が黄金採掘の為、
宗貞主を東金山奉行に、平左衛門主を西金山奉行に任じたとも、平左衛門主は宗貞主の家来であったとも言われています。

当神社に明治以前の文献は一切残っていません。

巷に僅かに残る文献を拾い上げて見ると、当社は宮島平左衛門主の慰霊を始まりとし、初め宮島霊神・平野明神と呼ばれていました。
明和年間に八賀町(丹生川町町方)の渡辺伊兵衛が二之丸に小祠を設け、茂住宗貞主を金の神として祀ったという記録があります。

文政2年(1819)には、高山一之町村組頭 大坂屋(森)太右衛門が高山城二之丸の岩上にある金の神を三之丸に移し、
再興したいと高山御役所に願い出ました。新築は不可でしたが移築が許され、櫻馬場濠上(現在の境内地下段)に遷座します。
翌年5月4日・5日には「火防祭」として祭典を行い、以降この両日が金の神祭礼日として定着しました。
文政7年に天照寺の古社を譲受け、拝殿としました。
弘化4年、4年間中絶していた祭典を「湯花祭」として斎行しました。
安政2年(1855)高山銀絞吹分所(現在の煥章館)が建設されるとその守護神、鉱山の総鎮守として崇敬されました。
同4年6月には白川郷出身力士白真弓肥太右衛門により、当社境内に於て江戸大相撲が誘致興行されました。
嘉永2年には祭典時に千の提灯を掲げたいと役所に願い出ています。
明治5年に拝殿老朽の為、水無神社の古神楽殿を移築しました。

主祭神は美濃国一之宮・南宮大社から御祭神を勧請したと伝わっておりますが、江戸時代までは「金の神」としか表記されていません。
また、明治始めの神社調べには主祭神(金山ヒコ・ヒメ)のみが記され、宮島茂住両神の名がありません。
両神の位牌は現在大雄寺で供養されていることから、神仏分離の影響を受けて御祭神の変更が起こったと思われます。
しかし、いつ頃付けられたかは分かりませんが現在も「金守山」(金森さん)というしゃれを利かせた山号を冠しており
神道風教の拠点であった中教院が管理したにもかかわらず、神仏習合の要素が残され用いられているのは珍しい事例です。


明治12年(1879)当所に中教院大講堂(現護国神社拝殿)が造建されると翌年2月にその東側に社殿を移動いたします。
大正4年(1915)4月 忠孝苑の大祭として、初の黄金神社大祭5日間を斎行
伝説に黄金神社には神使の蛇が棲むと伝えられていましたが、大正12年覆殿屋根吹替に当り屋根榑の間より
両頭の蛇の脱皮が発見されました。この時は新聞紙上を賑わし、時ならぬ見物人で雑踏致しました。
平成5年(1993) 拝殿の老朽により「忠孝苑合祭殿」として改築。飛騨大神宮・祖霊殿と共に相並んで奉祀申し上げることになりました。

現在の社殿は明和年間の作と伝わり、飛騨匠の代表作として精巧を誇っています。
また、往昔より鉱業の神・お金の神様として鉱山関係者・商人をはじめ広く一般にも崇敬されていることから
昭和28年より毎年1月11日の「蔵開き」の日に、一陽来福を願う『こがね講祭』が斎行されています。
祈願の後、祖霊殿御祭神である大国主神を「客神大黒天」として招き、縁起を占う大抽選会が開催されます。


茂住鉱山について

飛騨市神岡町は茂住宗貞主の開発により鉱山の町として発展していきました。
江戸時代後期(安政)、発掘された鉱物は高山の銀絞吹分所で精製され、江戸の銀座や大坂の銅座に運ばれました。
明治に入ると、神岡のすべての鉱山は三井鉱山によって運営されます。
一時は東洋最大の産出量を誇り、神岡鉱山は隆盛を極めますが、平成13年に産出量減少のため採掘を中止します。
現在、その坑道にカミオカンデ、スーパーカミオカンデが設置されて、世界屈指の素粒子(ニュートリノ)研究所となっています。
茂住宗貞主の御神徳は、飛騨一国に留まらずはるか宇宙にまで及び、物理学の発展に寄与しているのです。


例大祭     6月5日
こがね講祭  1月11日